ライズへの一年|第4回 みんなの足が、そろうまで

目次

「右、左、前」

声に合わせて、動く。

「はい。左手は腰」

止まる。

「あれ?」

誰かが隣を見る。

「やばい。分かんなくなった」

笑いが起きる。

もう一度。

「流れ星みたいな感じ」

右手が、上から下へ動いた。

同じ振りを教わっている。

けれど、まだ、同じには見えない。

手の高さが違う。 顔を上げる速さが違う。 移動に間に合わない子がいる。

2026年7月。

藤沢駅近くの名店ビルで、Aquarise(アクアライズ)のダンス稽古が行われていた。

踊っているのは、緑黄色社会の「キャラクター」。 前回のキックオフで、今期のテーマソングに決まった曲である。

あの日、

自分だけの、一番になれる何かを見つけたい。 中途半端な自分から、卒業したい。 自分に、自信を持ちたい。

それぞれの目標を話したメンバーが、 今度は、同じ音楽に合わせて動こうとしていた。

まだ、揃わない。

その日のことを書いておく。


「キャラクター」を踊る

「はい。最初から復習いきます」

前に立つのは、halca(ハルカ)さん。

Aquaの頃から数えて、今年で四年目。 ダンスの指導と、公演の振付を担ってきた人である。 現在は、プロのダンサーとして活動している。

「左、前、ハート」

halcaさんが動く。

それを追う。

「早い」

声が上がる。

また笑う。

「右手は、ここから下を通って」

「ちょっとおしゃれに」

「手のひら、前から見えたら隠れる」

振りを覚えるだけなら、 もっと早く進むのかもしれない。

けれど、halcaさんは止める。

肩の高さ。 手のひらの向き。 顔の角度。

直す。

また踊る。

できるまで、ではなく、 伝わる形になるまで、繰り返す。

振りを覚えることと、 舞台の上で、どう見えるかは違う。

その違いを、少しずつ覚えていく。


間違えてもいい

途中、動きが止まった。

「やばいかも」

「分かんなくなった」

halcaさんが言う。

「間違えてもいいから」

音楽が流れる。

間違える。

隣を見る。

少し遅れて、追いつく。

この日の稽古では、 何度も「分からない」が口に出ていた。

けれど、それを隠す人はいなかった。

分からなければ、聞く。

もう一度やる。

できなければ、笑う。

「今日、完璧にできなくていいから」

ただ、その日のうちにできなくても、 次の稽古までには、自分で振りを確認してくる。

「間違えてもいい」は、 「できないままでいい」ではない。


一緒に動く

振りが入ると、次は移動だった。

「もうちょい広がって」

動く。

縦一列になる。

走る。

止まる。

ポーズを取る。

「進行方向、見て」

「もっと早く」

一人で踊るときにはできていたことが、 人数が増えると難しくなる。

前の人を見る。

後ろの人が入る場所を空ける。

自分が遅れれば、次の人も動けない。

「今の感覚だと、全員入りきってない」

元の位置に戻る。

「せーの」

走る。

遅れる。

もう一度。

三度目。

一列に収まった。

「あ、綺麗。大好き」

halcaさんが言った。

表情が緩む。

自分の一歩が、 隣の人の一歩につながっている。

そんなことを、体で覚えている途中だった。


閉まる前のビルで

ここで、稽古場のことを書いておきたい。

名店ビルは、藤沢駅のそばに、長く立ってきた建物である。 近く、改装が予定されている。 その前の期間、ビルの部屋をアーティストに開く企画が動いていて、 アクアライズは、その一員として、ここを借りている。

見つけたのは、主宰の浅川さんだった。

今年の二月か三月。 次の一年の稽古場をどうしようかと考えていた頃、 稽古帰りの駅のホームで、スマホに、たまたまその企画が出てきた。

「なんじゃこりゃ、と思って」

読んでみたら、自分たちも応募できる。 ダメ元で出してみたら、通った。

一般のダンススタジオを借りれば、一時間で千円を超える。 ここは、一年間無料で使わせていただける。 公演のためにお金を集めながら活動する団体にとって、その差は大きい。

それだけではなかった。

同じ企画に登録しているアーティストが、この建物に出入りしている。 演劇の人がいる。 体で表現する人がいる。

「コラボしましょう」

そんな話が、稽古の前後で生まれ始めているという。

偶然に見つけた場所が、稽古場になり、 出会いの入口にもなっている。


楽しい、の中に

主宰の浅川さんは、 高校生の頃から、halcaさんのレッスンを受けてきた。

歳は、二つしか変わらない。

当時は、ただ、楽しかったという。

「絶対、自分が成長できるんですよ!」

けれど、主宰になり、 一歩離れて稽古を見るようになって気づいた。

halcaさんのレッスンには、 いくつもの意図があった。

振りを覚えやすくする言葉。

基礎から始める順番。

本番が近づくと、 ダンスナンバーを続けて踊らせること。

ミュージカルは、一曲踊って終わりではない。

歌い、演じ、踊り続ける。

公演の後半になれば、体力も落ちる。

その状態でも、観客の前では、 疲れた顔を見せられない。

だから、疲れた状態でも踊る。

浅川さんは、halcaさんから、 こんな話を聞いたことがあるという。

みんながネガティブにならないようにしたい。

だから、自分が疲れていても、明るくいる。

でも、ダメなところは、ちゃんとダメと言う。

その子が、格好悪い姿で本番の舞台に立たないように。

その覚悟があるから、 言葉に重さがある。

「本当の意味で、プロだなって思いました」

浅川さんは言った。


ミラクルヒーロー

halcaさんが引き受けているのは、 ダンスだけではない。

本番の舞台メイクも、彼女が監修している。 自身も、ミュージカルの舞台に立ってきた人である。

学生の団体のため、多くの謝礼は払えない。 それでも、不定期になりがちな稽古の日程に、合わせて来てくれる。

「ここのクオリティが、まだ足りていないから。 レッスン代はいらないから、行かせて」

そう言って、自分から稽古場に来たことさえあるという。

あんなに踊れるのに、自分を褒めることがない。 もっと上手くなりたい、と言い続けている。

その姿に、浅川さんは、 自分もまだまだだ、と思わされるのだという。

彼女のことを、浅川さんはこう呼んだ。

「ただの講師じゃない。ミラクルヒーローです」


もう一回

「顔、斜め上」

一人が直す。

「そう。上手」

別の子が遅れる。

「間に合ってないよ」

また戻る。

halcaさんは、できた瞬間には、

「ナイス」

「綺麗」

「素晴らしい」

と、すぐに声を返す。

笑いは絶えない。

けれど、手のひらの向き一つも、見逃さない。

今期のメンバーには、 それぞれ違う目標がある。

一番になりたい子。

中途半端な自分を卒業したい子。

誰かの記憶に残りたい子。

嫌いな自分も含めて、 好きなことをできる自分になりたい子。

前回、言葉にした目標は、 まだ何も叶っていない。

けれど、この日の一歩も、 きっと、その途中にある。


編集後記

「はい、もう一回。」

その日の稽古場で、いちばん多く響いた言葉だった。

最初に見たとき、動きはばらばらだった。

間に合わない。

ぶつかりそうになる。

振りを忘れる。

笑う。

もう一度。

halcaさんの声が飛ぶたび、 元の位置に戻る。

さっき間に合わなかった場所を、 今度は少し早く走る。

それでもできなければ、また戻る。

舞台は、 できる人が立つ場所なのだと思っていた。

けれど、この稽古場を見ていると、 少し違う気がしてくる。

できないことを、 何度もやり直した人が立つ場所なのかもしれない。

今はまだ、足は揃わない。

でも、そのことを、誰も隠していない。

この日は、全員が揃っていたわけでもない。 その空白も含めて、時間は進んでいる。

笑って、止まって、戻って、また踊る。

来年三月。

「キャラクター」の音楽が流れたとき、 八人は、どんなふうに踊っているだろう。

その姿に立ち会うために、 今の、揃わない時間のことを書いておく。

来月も、この扉を、開けに行く。

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