ヒップホップDJ、コンサルタント、そして、経営破綻寸前の保育園の園長へ。
加藤圭さんの経歴は、一見すると異色に映るかもしれない。しかし、その道のりの根底には、「どうすれば人は喜ぶのか」「組織はどうすれば輝きを取り戻せるのか」という、人間と社会に対する一貫した問いがあった。
彼が飛び込んだのは、数字にも、常識にも、そして諦めにも追い詰められた「崖っぷち」の現場。そこで彼が選んだのは、トップダウンの改革ではなく、一人ひとりの職員と「人」として向き合い、その心の奥にある「本当はどうしたいの?」という声に、静かに耳を澄ますことだった。
これは、信頼を武器に、絶望的な状況から希望を紡ぎ出したリーダーの物語。そして、「子供の『将来のため』ではなく、『今』を大切にする」という彼の哲学が、効率や成果に追われる私たちの日常に、本当に大切なものは何かをそっと問いかけてくれる、思索の記録です。
【Movie】
【Interview】
ヒップホップが教えてくれた、人と社会への問い
学生時代はヒップホップにのめり込んでいましたね。DJとして活動する中で、音楽だけでなく、そのカルチャーが持つ歴史や人の背景、哲学的な部分にすごく共感しました。イベントのオーガナイズでは「どうすれば人が喜んでくれるのか、どうすれば売上が上がるのか」といった経済の基礎を肌で感じました。
前職では、なかなかニッチな分野でしたが、幼稚園や保育園に特化した商社で営業職をしていました。経営者の方々と直接話す機会があり、「これ、面白いかも」と思ったんです。想像していた以上に面白かったですね。
「やってみたい」と「困りごと」が重なった、人生の転機
保育の現場へ飛び込むきっかけは、訪問していたある保育園からの相談でした。その時、私自身の「経営や組織作りをやってみたい」という思いと、保育園が抱えていた困りごとが重なったんです。
私自身のやりたいことと、保育園さんの困りごと、社会への貢献。これらすべてが叶えられるなら、と転職を決意しました。これは、単に仕事を変えるというより、自分自身の価値観と社会貢献を結びつける、深い「なぜ」への応答だったと言えるでしょう。
崖っぷちからの挑戦。信頼を基盤とした組織改革
私が園長として着任した保育園は、まさに崖っぷちの状態でした。人件費が90%近くにまで上がり、あと2%高ければ経営破綻するという数字でした。
私はまず、職員一人ひとりと丁寧な面談をしました。正直、この件で離職者が出るかもしれないという不安もありましたが、結果として一人も離職者が出なかったんです。それは、数字だけを突きつけるのではなく、神奈川県や藤沢市の給与水準といった客観的な根拠を示しつつ、「職員ではなく、人としてその人を尊敬し、人生を豊かにしていきたい」という私の思いが伝わったからだと信じています。
同時に、保育士が保育だけでなく、書類作成などの事務作業に多くの時間を取られていると気づき、ICT化を進めようと決めました。
ICT化が拓いた、子どもたちと向き合う「時間」という豊かさ
ICT化への道のりは平坦ではありませんでした。年代によって苦手意識があるのが現状でしたが、私は「これは先生自身も楽になるし、子どもと関われる時間が増えるんだ」ということを伝え続けました。保育支援システム、キャッシュレスシステム、そして職員間の連携を強化するインカムなどを導入しました。
保護者の方からは「アプリでのお知らせや集金が便利になった」と多くの声をいただいています。保育士にとっても、インカム導入で瞬時に連絡が取れるようになり、今では「これがないと業務が回らない」と言われるほど不可欠なものになっています。
このICT化の最大の成果は、保育士が子どもと関わる時間が大幅に増えたことです。以前は事務作業に追われ、「早くやらなきゃ」という気持ちで子供と接する時間が奪われていました。それが解消され、ゆとりを持って子どもと関われるようになった。最終的にそれが保育として子どもに還元され、子どもが幸せになることで保護者の方にも良い影響が還元できる。ICT化を通して、ここまで貢献できるのだと職員一同、身に染みて感じています。
「先生、本当はどうしたいの?」信頼と勇気の循環
職員と話す中で、「先生、本当はどうしたいの?」と、心の底まで降りて対話するようにしています。そして、「もう私が責任を取るから、先生たち好きなことやろうよ」と伝えています。そこでブレーキをかけてしまっては、良いものは生まれないと思うからです。
この姿勢が、職員に大きな変化をもたらしました。以前は自分から発言がなかった職員が、「私はこうしたい」と主体的に思いを伝えてくれるようになった。それを実際に行動に移し、「やっていいんだ、私にもできるんだ」という自信がついて、さらに学びたい、子どもたちに還元したいという良い循環が生まれています。職員が「最近仕事が楽しい」と言ってくれることが、園長としての何よりの喜びですね。
保育とは「創造」。子どもたちの「今」を大切にするということ
私にとって保育とは、「創造的なもの」であり、「人間とは何か」を問い直すような行為だと感じています。大人と子供が互いに影響し合い、学んでいく。子供の「将来のため」ではなく、「今」を十分に楽しんで、味わい、寄り添ってあげること。子供は今を生きているんです。
子どもを「子どもである前に一人の人間」として尊重し、おむつ交換一つにしても「おむつ替えさせてもらいます」と声をかける。その大切さを職員と共有しています。
社会に対しては、「保育士の価値を変えたい」という強い願いを持っています。今の「大変だね」というイメージを、「すごいね、私もやってみたい」と言われるような、夢が与えられる職業にしたい。そして、保育園が子どもを預かるだけの場所ではなく、地域の困りごとにフォーカスし、地域全体を包括していけるような施設を目指したいです。
【Photo Gallery】










【編集後記】
加藤さんの物語は、リーダーシップの本質を静かに教えてくれる。
それは、声高にビジョンを叫ぶことでも、強力なトップダウンで組織を動かすことでもない。一人ひとりの人間性に深く敬意を払い、その人が本来持っている輝きを信じ、解き放つこと。そのために必要な責任は、自分がすべて引き受けるという覚悟を持つこと。
「私が責任を取るから、好きなことをやろう」。
この言葉が、どれほどの安心感と勇気を職員の方々にもたらしただろうか。信頼という土壌があって初めて、人は主体性を発揮し、創造的になれる。彼の保育園で起きている「良い循環」は、その何よりの証明だ。
子供たちの「今」を大切にするという彼の眼差しは、未来のために「今」を犠牲にしがちな私たち大人への、痛烈で、しかし優しい問いかけでもある。
DJがフロアの空気を読み、最高の音を届けるように。加藤さんは、保育園という場で、関わるすべての人の「音」に耳を澄ませ、最高のハーモニーを奏でている。その音は、きっとこれからも、多くの人の心を動かしていくのだろう。
【Profile】
加藤 圭(かとう けい)
藤沢市内の保育園園長。学生時代のDJ活動、保育・幼児教育施設のコンサルタントを経て現職。経営破綻寸前の保育園の再生に成功し、ICT化の推進と、職員・保護者・子どもたち三方の幸福を追求する新しい保育の形を実践している。3児の父でもある。

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