——大庭保育園「たこ授業」で起きていた、静かな出来事
フジノオトレポート
※湘南食育WAVEとPocketPortが協働し、
園児たちに“海と仕事の手触り”を届けた一日の記録
教室の真ん中に、見慣れない存在が置かれていた。

丸くて、少し重たそうで、
まだ名前を呼ばれていない何か。
子どもたちはすぐに声を上げるわけでもなく、
けれど視線だけは、自然とそこに集まっていった。
この日、大庭保育園にあったタコは、
スーパーで切り分けられたものでも、
図鑑の中のイラストでもない。
海の中で、
捕れるかどうかも分からない時間を経て、
いくつかの偶然が重なりながら、
この場所にたどり着いたタコだった。
「食育」という言葉の、少し手前から
2025年9月24日(水)、
大庭保育園で行われたのは、
湘南食育WAVEによる「たこ授業」。
湘南食育WAVEは、
「地域一丸となって、子どもたちの食の原体験を豊かにする」
ことを掲げて活動している団体だ。
栄養やマナーを教え込むのではなく、
食べものの向こう側にある人や場所、時間に、
子どもたちの想像が自然と伸びていくことを大切にしている。
この日の授業には、
たこつぼ漁を支える仕組みを運営する
PocketPort代表・三宅剛平さんも参加していた。
テーマは「タコ」。
けれど、扱われていたのは
タコの知識そのものというよりも、
海と人との距離
自然を相手にする仕事の不確かさ
それでも続いていく営み
そうした前提ごとを、
子どもたちの目の前にそっと置く時間だった。
授業は、説明から始まらなかった
授業のはじまりは、説明ではなかった。
「漁師さんとタコくんの戦い。
僕らの海のタコツボのお話です。」
語り始めたのは、
湘南食育WAVE代表の入澤理世さん。
登場するのは、
相模湾で魚をとる漁師・関澤さん。

シラス、伊勢エビ、真鯛、そしてタコ。
子どもたちにとって、海はすでに遠い存在ではない。
この保育園は、
新江の島水族館や海遊びともつながる場所にある。
物語は、
「タコはなぜ壺に入るのか?」という問いへ進む。
正解は、
「狭くて暗いところが好きだから」。

それでも、
「怒られないように隠れるから」という選択肢に、
思わずうなずく子がいる。
生き物の話と、自分の感情が、
同じ場に並ぶ。
入澤さんの授業は、
答えを教えるというよりも、
感じたことをそのまま置いていい“余白”を
つくっているように見えた。
「オーナーになる」という関わり方
——三宅剛平さん(PocketPort代表)
次に場を引き継いだのが、三宅剛平さんだ。

三宅さんが手がけているのは、
たこつぼの「オーナー」になれる仕組み。
一定の金額を支払うと、
自分の名前が付いたたこつぼが海に仕掛けられる。
そこにタコが入れば、そのタコが届く。
入らなければ、代わりにワカメが届く。
どちらになるかは、分からない。
これは、
漁の結果を「商品」として受け取るのではなく、
自然と向き合う時間そのものに参加する、という関わり方だ。
たこつぼ漁では、
海から引き上げたとき、
壺の口が開いていれば中は空。
反対に、口が閉じていれば、
タコが中に入っている可能性が高い。
その小さな違いを手がかりに、
漁師やオーナーは、
海の中の様子を想像する。
この日は、
たこつぼ漁の様子を記録した映像を、
子どもたちと一緒に見ていった。
壺が海から引き上げられる。
口は開いたまま。
「残念。」
もう一つ。
また開いている。
三宅さんは、そこでこう伝える。
「漁は、いつも取れるか取れないか分からないんです。」
次の壺。
口が閉じている。
「入ってる。」

教室の空気が、わずかに動く。
喜びと、外れと、期待が、
同じ映像の中に並んでいた。
実物のタコが、教室に運ばれてきた
映像のあと、
実物のタコが教室に運ばれてくる。
丸ごとのタコ。
「スーパーで見るのと違う。」
「足、太い。」
「ここ、お尻だと思った。」
口の場所。
吸盤の感触。
ぬめり。重さ。
三宅さんは、正解を急がず、
「触って確かめてみよう」と声をかける。
「タコのお口はここ。
鳥のくちばしみたいに硬いよ。」


授業というより、
観察と会話が自然に混ざる時間になっていった。
見たものを、手に戻す時間
——お絵かきのコーナー
タコに触れたあと、
教室には色鉛筆と紙が配られた。
「タコ博士になる塗り絵です。」
先生の声に、
子どもたちはすっと机に向かう。
さっき見たタコを、
思い出しながら描く子。
吸盤を一つひとつ丁寧に塗る子。
黒っぽかった色を、
何色か重ねて表現する子。
「暗いところに入るんだよね。」
「女の子だったと思う。」
「お菓子みたいで、おいしそう。」


言葉が、
絵と一緒にこぼれていく。
あとから加藤園長は、
「子どもは、予想以上によく見ている」と話してくれた。
大人が気づかない細部まで、
“本物”を通して受け取っていることが、
この時間から伝わってきたという。
見て、触って、聞いたものが、
一度、自分の手を通って、
紙の上に戻ってくる。
その時間は、
授業のまとめというより、
体験を静かに落ち着かせる
“余韻”のようだった。
授業のあと、残っていたもの
この授業は、その日だけで終わらなかった。
後日、ある子どもが、
園での自由な工作の時間に
たこつぼを作ったという。

誰かに言われたわけではない。
完成したたこつぼは、
誰かに見せるためというより、
自分の中で納得するための形をしていた。
体験が、
一度ほどけて、
日常の中で、もう一度立ち上がる。
そんな循環が、静かに起きていた。
子どもたちが選んだ、次の行き先
この授業をきっかけに、
園では「次の遠足先」を話し合う時間があった。
大庭保育園では、
遠足の行き先を
園児たち自身が会議で決めるという。
例年、いくつか候補が出る中で、
今年は、満場一致で
新江ノ島水族館だった。

「タコが泳いでるところを見たい。」
「生きてるタコを見たい。」
今、心が動いているものを基準に、
行き先が決まった。
授業で触れたタコが、
次は水の中でどう動くのか。
その続きを、
子どもたちは自分たちで選んだ。
「ありがとう」が置かれた場所
実は、大庭保育園のたこつぼには、
タコは入っていなかった。
けれど同じ日に、
別のオーナーのたこつぼには
二匹のタコが入っていた。
そのオーナーが、
「ぜひ保育園の皆さんにお渡しください」と、
一匹を分けてくれたのだ。
誰の顔も知らない相手から、
ひとつのタコが、この場所へ渡ってきた。
タコが入るかどうか分からないたこつぼが、
結果として、人と人をつなぎ、
この日の教室に、ひとつの出来事を連れてきた。
この場が生まれた場所
この「たこ授業」は、
藤沢にあるイノベーションスナックみらぼでの
何気ない出会いを起点に生まれた。

みらぼは、
湘南で活動する人たちが日替わりで
一日「ママ」を務める場所だ。
その日、その時間に立つママが変わることで、
集まる人も、話題も、自然と入れ替わっていく。
ママが一方的に話すのではなく、
その場に居合わせた人たち同士が、
互いの話に耳を傾け、言葉を返し合う。
そんなやりとりが、いつも静かに流れている。
そこで交わされていたのは、
「こんなことができたらいい」
「子どもたちに、こんな体験を渡せたら」
という、まだ輪郭のはっきりしない話だった。
湘南食育WAVEの入澤さん、
PocketPortの三宅さん、
大庭保育園の加藤園長。
それぞれの専門や立場は違う。
けれど、
子どもたちに“本物を渡したい”という思いだけは、
その場で自然と重なっていった。
企画書が先にあったわけではない。
ゴールが決められていたわけでもない。
雑談のように交わされた言葉が、
少しずつ具体性を帯び、
気づけば保育園の一日として立ち上がっていた。
この授業が
どこか無理なく、
園の日常に溶け込んでいたのは、
その生まれ方にも理由があったのかもしれない。
海は、ここからも続いている
タコの足は8本。
卵を産むのは春から夏。
子どもたちは、それを知った。
同時に、
取れない日があること。
人が人を支えること。
体験は形を変えて残っていくことも、
体の感覚で受け取った。
次に海を見たとき。
次にタコを食べるとき。
その向こう側に、
この日の教室のざわめきが、
少しだけ重なるかもしれない。
この授業は、
答えを与える場ではなく、
問いが、日常に滲み出していく入口として、
静かにそこにあった。
取材・記録:フジノオト


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