平塚の街には、長い時間をかけて続いてきた町工場がある。
静かに、確実に、決められたものをつくり続けてきた場所。
精密板金加工を行う株式会社タシロも、そんな工場のひとつだ。
けれど今、この場所では
「町工場とは何か」「ものづくりとは何か」
その前提を問い直す動きが始まっている。
舵を取るのは、3代目代表取締役社長・田城 功揮さん。
彼が掲げるのは、
「加工だけの会社では終わらせない」という意思だった。
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内気だった少年と、最初の成功体験
今でこそ行動力のある経営者として語られる田城さんだが、
幼少期の自分を「とても内気だった」と振り返る。
きっかけは、幼稚園で描いていた一枚の絵。
流行していたポケモンを描いていると、自然と人が集まり、
会話が生まれ、友達ができた。
「何かが “できる” ことで、自分にも居場所ができると感じた」
小さな自信は、やがて行動へとつながっていく。
留学で知った「行動が先にある」世界
高校時代、英語が話せないまま短期留学に挑戦する。
言葉が通じず、もどかしさを抱える日々。
そんな中、偶然出会ったストリートバスケの輪に飛び込んだ。
「完璧じゃなくても、やりたい気持ちが伝われば人はつながれる」
この経験が、
「まず動く」「伝えようとする」
という価値観の原点になった。
異業種で得た、人と組織を見る視点
大学卒業後は人材業界へ。
営業、求人チェック、研修講師、NPOでの活動。
制度と現場、人と組織の間にあるズレを見続けてきた。
「この経験は、経営者になった今、すごく生きている」
雇用、ルール、働く環境。
後に家業で向き合うテーマの下地は、
この時期に形づくられていった。
|家業に入った理由は、「人」だった
2019年、家業である株式会社タシロに入社。
強く後継を求められて育ったわけではなく、
当初は起業も並行して考えていた。
しかし、社員と日々コミュニケーションを取り、関係を築く中で、
父や祖父を支えてきた社員たちの存在が、徐々に自分の中で大きくなっていく。
「この人たちのために、何かもっとできないか」
「より豊かな生活を送るために、力になれないか」
そう考えるようになり、いまは会社一本で向き合っている。
コロナ禍と、自社商品開発という選択
2019年に家業へ入社。
直後に訪れたのは、コロナ禍という逆風だった。
売上の減少、採用の停滞、人材の不安定さ。
そこで田城さんが選んだのは、
社員のアイデアを起点にした自社商品開発だった。
「この会社が何者なのかを、外に伝える必要があった」
試作を重ね、クラウドファンディングに挑戦。
キャンプ用品の開発は大きな反響を呼び、
展示会での受賞が、会社の見え方を変えていく。
若手中心の組織と、言葉を尽くす経営
現在、社員の約9割は若手、8割が20代。
田城さんは、毎朝の朝礼で
「今日は何を伝えるか」を考え続けている。
「管理するより、考えられる組織にしたい」
制度やルールも、社員の声をもとに更新されていく。
町工場でありながら、
常に変わり続ける前提を持った組織づくりが進んでいる。
10億、そして100億。その先に見ているもの
40歳で売上10億。
その先に、100億規模の会社を目指す。
理由はシンプルだ。
100億くらい行かないと、業界に影響を与えられないから。
加工を軸にしながら、加工だけにとどまらない。
挑戦を重ね、町工場のイメージを書き換えていく。
「この会社を見ると元気になる」
そう思われる存在でありたいと語る。
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編集後記
田城さんの言葉の中で、強く印象に残ったのは
「100億を目指す」という目標だった。
それは数字を誇るためのものではない。
町工場という存在を、
就職先として選ばれる場所にしたい
という意思の表れだった。
静かで、目立たない。
それでも技術も人も、可能性も、ここにある。
だからこそ、業界に影響を与えられる規模を目指す。
町工場を、人気ランキング一位にする。
それは奇抜な挑戦ではなく、
働く人の時間と誇りを守るための、
極めてまっとうな野心なのだと思う。
100億の先に描いているのは、
数字ではなく、
町工場で働く未来が、前向きな言葉で語られる社会だ。
その景色を、本気で見に行こうとしている人が、
平塚の現場にいる。
田城 功揮(たしろ こうき) 株式会社タシロ 代表取締役社長

株式会社タシロ公式HP:http://www.tasiro.co.jp/


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